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対話カフェvol.01を終えて

◆親切とおせっかいって、真逆なの?

「親切? おせっかい? ~どこからがおせっかい?~」というテーマで、7/26(水)真庭市交流定住センターにて「対話カフェ」をおこないました。参加者は、12名。

テーマの「親切? おせっかい?」については、チラシの言葉がそれを端的にあらわしています。

親切のつもりが「お節介だ」と言われたり、お節介かな? と思ってそっとしておいたら、「君はつめたいなあ」と言われたり……。行動の選択を目の前にして、それを受け取る側がどう思うか、気になる人もいるし、気にならない人もいるでしょう。親切とお節介って、真逆なものなのか、表裏一体なのか。ちょっとみんなで話してみませんか。

◆おせっかいによって救われるひともいるのではないか。

「親切とおせっかいは、どう違うのか?」
という問いからはじまり、「相手の立場になって考えられるかどうか」「おせっかいとは押しつけではないか」などの意見が出るなか、「親切とおせっかいに違いはない」や「良いおせっかいもあると思う」という意見も。

おせっかいによって救われるひともいるのではないか。

という問いかけとなり、「大阪のおばちゃん」「おせっかい野菜」などが例に挙がりながら対話を深めた後、「たとえば学校に行きたくないわが子に対して、〈学校に行ったほうがいい〉というのは、親切なのか。それともおせっかいなのか」という問いへ展開しました。

悪気なく、親切心で「学校に行ったほうがいい」と伝えるひとが多いと思う、という一方。子ども側からすれば、親のいうことに従うほかなく、「親切と受け止めざるを得ないケース」が多々あるのではないか、という意見も。

親子の関係、子育て上での「親切」については「見守ることが大切」や「選択肢を広げることが大切」なども出ました。ただ、どの場合においても、結果的に親切となったのか、おせっかいとなったのかはわかりません。

そう考えると、おせっかいと思っていたものが、親切になったり。また親切だと思っていたものがそうでもなかったり。時間の経過とともに、親切とおせっかいは入れ替わることもあるのではないか。

そこまで話が進んで、「う~ん。難しいな」という空気が流れます。

◆親切とおせっかいに違いはない。

絶対に「おせっかい」にならない「親切」はあると思いますか。

という問いかけに対しては、「親切とおせっかいに違いはないのだから、その質問には意味がないと思います」という意見も。

そして「結局、親切もおせっかいも、自分が相手にしてあげたいと思う〈自己満足〉なのかも」という意見が、「親切とおせっかいに違いはない」という意見をあと押しします。

親切とおせっかいに違いはないのでしょうか。
後半はこの問いを大切に、対話を深めていきました。

たとえば、親切とおせっかいの違いについて考えるときに、よく挙がる例が、「電車で席をゆずるかどうか」です。ゆずったら感謝される場合もあれば、ゆずったものの「年寄り扱いして」と嫌がられる場合もあります。

一般的に「前者は、親切。後者は、おせっかい」と捉えられます。
「おせっかいと思われたくないから、なにも言わずに立つ」
「いやいや、やらなくて後悔するならやったほうがいいから、おせっかいと思われても席をゆずる」
「いやいや、そんなやるやらないなんて考えず、先に身体が動く」

そんな話をしているなかで、「そもそもそういう場合は、〈座られます?〉と相手に聞けばいいんじゃない?」という意見が。
それに対しては、「聞くこと自体が、相手に失礼になるのではないかと思ってしまう」「聞いたところで、遠慮とかあるなかで、相手が本心を語ってくれるとは限らない」などなど。

どんな行動も、受け取り方次第。だから気持ちに揺らぎが生じる。それでも「手をさしのべること。さしのべる気持ちが大切」という意見が出ました。

◆親切とおせっかいは違うんじゃけえな!

対話を進めるなかで、ひとつのエピソードが語られます。

これまで家族ぐるみで仲良かった友だちが、ある日困難な状況に追い込まれます。自分はなにかしてあげたい思いから、あれやこれや友だちの世話まわりをしていたそうです。
ところがあるとき、その友だちが自分に向かって言いました。

「親切とおせっかいは違うんじゃけえな!」

その一言に、自分は大変なショックを受けた、と。自分はこれまで親切のつもりでやっていたのに、相手にとってはそうではなかった、という事実が突きつけられました。

◆結論を出すのではなく、問いを見つめなおす。

結論は出ないまま、時間を迎えました。
もともと「結論を出すための対話」ではないので、ここで話された内容を持ち帰って、「親切とおせっかいについて」の思考を深められたら、ということで第1回の対話カフェを終えました。

最後は、参加者さんから感想をいただきました。

「おせっかいってネガティブなイメージを持っていたんですけど、いまはそうじゃなくなりました」
「はじめの問いかけから、どんどん対話を経て深まっていくのが面白かったです」
「普段はあえて聞かないような話が、皆さんから聞けて、とても楽しかったです」
「はじめはどんな対話になるのだろうと不安でしたが、対話を進めていくなかで〈親切とおせっかい〉という問いが人間の根源に迫るものなのかもしれない、と思いました」
「おせっかいで生きてきた人間なので、この生き方は変えられないな、と思いました笑」
「〈ごちゃまぜの対話〉というキャッチコピーに惹かれて来ました。これからもこういう対話の場があれば参加したいです」

とくにこの場で今回の「親切? おせっかい?」というテーマについて、結論めいたことを書くつもりはありません。

自分の漠然とした考えがわずかでも言語化され、みんなと対話するなかで、その言語化が深まったり、考えが少し変わったり、そういう過程を感じてもらい、お互いの価値観の違いを交換するような場になれば、と考えています。

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