
共生社会とは?〜目指すのは「共生社会」という言葉がない世界〜
「いつか、”共生社会”という言葉さえもが必要なくなる日がきてほしい」そんな願いを込めて私たちは活動しています。
真庭市には、さまざまな人が暮らしています。
もちろん、人間だけではなく、豊かな自然や動植物もともにこの地をはぐくんでいます。
その「多様さ」こそが、共生社会の基盤なのです。
多様な価値観や背景を持つものどうしが、違いを理解し、受け入れることができる社会。
私たちはそんな社会を目指しています。
共生社会とは?
共生社会とは、ひとりひとりの違いを認め合い、すべての人が自分らしく生きられる社会です。
単なる理想のように聞こえるかもしれませんが、私たちはその実現を目指して取り組んでいます。
そして、日々の生活の中で「生きづらさ」を感じる人が、孤立することなく支え合える社会を築くために、真庭市では共生社会の実現を掲げています。
「多様さ」と「違い」を認め合う
すべての人が自分らしく生きられるためには、まず「多様さ」を認め合うのが大切です。
「多様さ」とは、性別、年齢、国籍、価値観、からだの状態など、人それぞれの異なる要素を尊重すること。
共生社会の根っこには、「じぶんと異なる人を認め合う心」があります。
しかし、誰もが”ありのままでいるのが当たり前”になれば、「共生社会」という言葉すら不要になるのです。
ごちゃまぜの対話から始めよう
共生社会を築くには、まずお互いを知るのが大切です。
そして、その第一歩として「対話」は欠かせません。
「対話」というと難しく感じるかもしれません。
でも、相手の話に耳を傾け、理解し合おうとする姿勢があれば、きちんと「対話」は進んでいきます。
真庭市で月一回開催されている「対話カフェ」は、対話の場のひとつです。
さまざまなテーマで語り合い、お互いの「違い」を認め合いながら、共に生きる道を模索しています。
対話は多様で自由なもの
対話の方法は一つではありません。
ふたりでじっくり話し合うものもあれば、大人数で意見を交わす場もあります。
対話の場では、無理に話す必要はなく、ただ「いる」だけでも構いません。
大切なのは、その場に集う人々が「違い」を認め合い、ありのままの自分でいられる「居場所」を感じることです。
自然も共生の一部
私たちが目指す共生社会は、人間だけを対象にしているわけではありません。
真庭の豊かな自然や動植物との共生も、ひとつの要素です。
大切な命が守られる環境の中で、私たちもまた多様な価値観や生き方を尊重し合いながら共に生きる。それが、真庭の考える共生社会です。
対話の場を広げよう
すでに真庭市のあちこちに、「対話の場」が存在しています。
お互いの価値観や気持ちに耳を傾けたり、だれかの困りごとに寄り添ったりする日常の中に、対話は生まれているのです。
もしあなたが知っている「対話の場」があれば、ぜひ教えてください。
そのひとつひとつが、共生社会を広げていく大切なきっかけになります。
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